80年代の冨永圭志は、(当時の東京芸大の学生達から「日本のバスキア」と呼ばれていたが)本人の意識の中にはベン・シャーンがあったようです。 というか、(同時代すぎて)バスキアを知らなかった! 「Black Face」と(それに先行する)「KOKESHI」はバスキアよりもベン・シャーンであり、(同時代ならば)トランス・アヴァンギャルドの中でもクッキやパラディーノに近い。同時代的に表現主義的な作品で、アフリカ的でもありますが、当時の日本に流行っていた「ヘタウマ」とは異質な方向性がありました。