1998年に静岡県立美術館を会場にしたグループ展「セッション1998」は、当時の静岡県にあっては画期的な試みであった。メンバーは中部地区だけではなく、東部・西部からも(30名が)選出された。40歳以下の県内の現代アート作家の選考としては、(派閥やしがらみもなく)おそらく当時の最高のメンバーといえると思う。
私は当初、鈴木大治氏をキュレーターに考えていた。又、東京・名古屋等からの作家にもオファーをかけていたが、あまりにも大がかりになり過ぎていたのと県外の作家達と大治氏がぶつかったので、収集がつかなくなってしまった。しかたなく、その両方を切らざるを得なかった。私自身がキュレーターになった。(作家でキュレーターをしたことのある人なら解かると思うが)携帯もパソコンも無い時代、かなりの負担となった。ともあれ、(コンセプチュアルやインスタレーションまで含んだ)ガチンコ勝負の展示は見ごたえがあり、「セッション1998」は伝説のグループ展になりました。
しかし、私自身はキュレーターとしての仕事に振り回されて、自身の作品は蔑ろになってしまった。(当時、ライバルといわれていた)川邉氏に酷評されたが、その反省と怒りから(数ヶ月後に、私自身の最高傑作)「Yellow Passion」は誕生することになる。